3/1 簾舞まち連歴史文化部会「異文化理解と共生」についての講演会開催

ニュース

3月1日(土)、簾舞地区まちづくり連合会歴史文化部会の主催で、「異文化理解と共生」に係る講演会を開催しました。
穏やかな天気で、また高校の卒業式日でもあったのですが33名の参加者、計35名で開催することが出来ました。
先ず、酒出まち連会長から開催に当たっての挨拶があり、引き続き、本会のパネルでスカッションの目的等についてまち連事務局長からの説明とパネリストである砥山の瀨戸メラルさんと簾舞団地のビアンカ・フュルストさんの紹介がありました。
そして、砥山ふれあい果樹園のメラルさんから、1998年にイスラム文化国のトルコから当地に来た理由と経緯、そして来札後の何もかも全く判らない中での結婚生活での大変なご苦労についての報告がありました。
イスラム文化については、日本では現在でもそれほど理解が深まっているとはいえないと思いますが、当時はなおさらであり、かつ当時のトルコでの国情や社会環境は現代から比べると女性にとって決して恵まれた状況ではありませんでした。
メラルさんは6人兄弟姉妹の4番目で、3才の時に父親が急死。母親と姉達での農業による苦しい生活の中で大統領に学校へ行かせて欲しいと手紙を出して直訴。その結果、紆余曲折がありながらも勉強することが可能になったという話も初めて聞くエピソードでした。
そして、そうした中でのイスラム教徒ではない言葉も自由には通じない日本人との結婚でした。日本語は判らず、日本の文化についても詳しくは知らず、サムライの国だと思っていた日本。
来札後、イスラムで許されたハラール食品の存在もなく、食べられるものもなく、周囲とのコミュニケーションをとることも困難という中での経験のない果樹園での生活。
まさに当時のメラルさんにとって筆舌に尽くしがたい状況での生活であったということが理解出来ました。その後も様々な困難を克服しながら現在まで来られたのですが、この間、配偶者の瀬戸修一さんとともに、当時、地域に居られた、「日本の母」と言っている一人の女性の存在がメラルさんにとって救いであったというお話しもありました。なお、瀨戸さんとのなれそめにかかる逸話は会場の笑いを誘っていました。
次の簾舞在住のNPO法人「八剣山エコケータリング」代表のビアンカ・フュルストさんからも来日に至る経緯と来札後の活動等について、沢山の映像を使って説明がありました。
南ドイツのウルム市で生まれ育ったビアンカさんは、高校卒業後に器械体操の選手だった縁で日独スポーツ交流のメンバーとして九州の水俣市で4週間、ホームスティしたのが日本とのなれそめだそうです。
そして、ベルリンの大学で日本学や政治学を学び、熊本大学に留学。ドイツの日本大使館での「日本で働きませんか」との募集に応募して、札幌国際プラザの国際交流員として来札。
ドイツのまちづくりや環境保全に係る情報を紹介するなどし、その後、砥山の「八剣山果樹園」の櫻井学さんと結婚、札幌市の環境保全アドバイザーなども務め、エコクラフトやソーラー利用調理、その他、様々なSDGsに係る取組みや文化交流に関わりながら現在に至っているとの報告がありました。
そして文化交流の楽しさに触れながら、今後については、簾舞、砥山等は確かに公共交通機関は不便だが、インバウンドが興味関心を持つものが日帰りやワンストップで入手、体験できるロケーションなので、この地域の良さにもっと注目させたいし、地域で日本文化を体験できるネットワークを構築できたらという提言がありました。
お二人からの報告後、メラルさんにとっての一番の障害は言葉の壁、結果として周囲と充分なコミュニケーションを取れなかったことが最大の困難であったことに関して質問がありました。
メラルさんからはお金で買えないものはヒト、ヒトが財産、すなわち人間関係が一番の財産になったとの話があり、ビアンカさんからは、言葉の壁に関して、日本人は「自分は英語が出来ない」と決めつけている部分がある。マインドセットが必要、出来ると思って自信を持って向き合って欲しいとの話がありました。
今後も、コミュニケーションを取ることに苦労している国外からの来住者が地域に住まわれることもあると思います。そうした場合、地域としてどんな対応が出来るのかといったことについてディスカッションが出来ると良かったのですが、時間的なこともあり、進行での打合せ不足もあって出来ませんでした。
今後に向けての課題としたいと思います。しかし有意義な時間であったと思われました。

(1)


(2)

タイトルとURLをコピーしました