06「まち連お宝散策マップ」札幌市指定有形文化財「旧黒岩家住宅/旧簾舞通行屋」

お知らせ

簾舞地区まちづくり連合会で作成した「お宝散策マップ」掲載の「お宝」です。

簾舞一区町内会。札幌方面からならば藤野の含笑寺を越えた三差路信号で右折、国道230号の旧道、市道簾舞中央線に入り、道なりの丸千坂を進む。
新御料橋を過ぎてじょうてつバス、旧簾舞通行屋前バス停前の二差路で左の簾舞中央線を進むとすぐに右手に「旧黒岩家住宅/旧簾舞通行屋」の建物があります。

明治3(1870)年7月、東本願寺は「新道切開」、「移民奨励」、「教化普及」を目的に伊達村尾去別(現伊達市長和)から壮瞥、定山渓、簾舞を経由して平岸に至る103㎞に及ぶ「本願寺街道」開削工事に着工、翌同4年10月、1年4ヶ月の短期間で道路を完成させました。そのルートは北海道の名付け親である松浦武四郎が豊平川から中山峠、虻田有珠に道を開けば便利になると幕府に進言していたアイヌ道でした。
明治5年1月、開拓使は本願寺街道通行人の休泊所として札幌本府と定山渓の中間地点にあたる簾舞に官営の簾舞通行屋を開設、福岡県出身の黒岩清五郎を屋守に任じ、清五郎は周辺の開墾を行いながら屋守の業務を行いました。その場所は、現在の簾舞中学校グランドの北東側の現国道230号上です。
しかし、同6年に札幌と函館を結ぶ千歳廻りの札幌本道(現国道36号)が完成したため本願寺街道の利用が激減、同17年(1884)に通行屋は廃止となりました。建物は昭和56年(1981)まで黒岩家の住宅として使われます。
明治16年には現藤野のマルセンと呼ばれた野々沢地区に札幌市街地からの入植者があり、徐々に集落が形成されていきます。そして同19年、定山渓まで馬車道にする道路改良工事が始まり、その際に簾舞地区の本願寺街道はマルセン坂から花ヶ岡へ上がる簾舞中央線(旧国道230号)のルートに変わりました。この時、通行屋も現在地へ移築し、増築。ほぼ現在の姿になりました。
建物の左側半分はキングポスト・トラス(洋風小屋組)を採用しており建築史的にも貴重で、増築された右側半分は和風小屋組での馬小屋や納屋がある開拓農家の間取りでした。
黒岩家は農業を主とした宿屋という兼業農家となり、建物も黒岩家の住宅としてのみならず、官吏の出張所や私設教育所等、公共施設として活用されました。
昭和56年12月の建物の老朽化に伴う黒岩家の転居を契機に、明治4年以前の洋風建築の貴重性が認識され、同59(1984)年3月、札幌市に残る唯一の通行屋であり札幌市最古の木造建築、そして開拓使時代初期の建築様式を伝える貴重な建物として「旧黒岩家住宅(旧簾舞通行屋)」の名称で札幌市の有形文化財に指定されました。
家屋と土地が札幌市へ寄贈され、同59年から2年間をかけて建物の全体調査と復元工事が行われ、同61年(1986)4月、開拓使時代遺構の旧通行屋と明治初期の開拓農家住宅部分での簾舞郷土資料館が開館し、現在に至っています。令和4年は通行屋を開設してから150年目でした。       (Ya記)

黒岩清五郎から4代目となる郷土資料館、黒岩裕(ゆたか)館長からのメッセージ
・1986(昭和61)年4月13日開館
・開拓使が建築し、札幌で造られた札幌現存最古の建物と「札幌農学校」、「御料」の農場からなる、地域の歴史資料等の保存管理及び運用を図っています。
資料館を「時代の流れを心に刻む」縁(よすが)として充実させたいです。そのためにも独立した付属古建築風の資料館建物での収蔵、展示が夢です。
・見学者からは、「ミニ開拓村」と呼ばれることもあり、規模は小さくとも昔の生活を知れる内容は豊富です。
・何といっても一番の売りは、大正、昭和と51年間にわたり運行した定山渓鉄道の復元「タブレット」、「樹齢240年の赤蝦夷松」の標本木、そして体長240cmの特大「大の字形の羆(ひぐま)毛皮」の架台展示です。
・毎年、9月中旬には旧簾舞通行屋と隣地の通行屋緑地を会場に「みすまい通行屋祭り」を開催。
・札幌市南区簾舞1条2丁目4-15 011-596-2825
・開館時間 9:00~16:00 (無料)
休館日 月曜日(祝日はその翌日)、祝日の翌日、12/29~1/3

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